2024.9「好き」
9/1
・こんなによくしてもらって、いいんだろうか、という感じ。
いちばん価値あるもの。いちばん拒絶しているもの。拒絶していることにも気づかないもの。愛。
9/2
・ありがたいなあ、と。それしかない。
9/3
・夕方、うつ気味。
ダメダメな自分。疲れ切った自分。動けない自分。そういう自分を、いまはゆるせている。
だから、こうして感じることができている。
・夜、泣く。子どもの自分をみてるみたい。
愛されたい、認められたい、という自分がすごくすごくいる。さみしかったんだなあ。ずっと。
9/4
・夜、また泣く。しんどい。
9/5
・なんかつらい。
まるで生きてちゃいけないかのような。
どこにも行場がないまま、坐る。
9/6
・ほそーーい糸でなんとか地上につなぎとめてる感じ。自信もなく。弱々しく。
自分をゆるせる範囲でしか、人のこともゆるせないんだな。
そうおもうと、まわりの人たちになんか申し訳ないことしてきたなあ、とおもう。仕方がないことだけど。
・お風呂に入ってたら、あ、男の人のからだなんだ、おもしろいなー、となった。服を着替えるみたいに、今日は女の人のからだ、今日は男の人のからだ、ってなれたらいいのに。
こんなことを考えたのは初めてだ。
9/8
・ときどき、おもう。自分はもうあまり長く生きないのではないか、と。それがどういうことなのかわからないけど。
9/9
・台湾の道教寺院を訪れたとき、おしゃべりしている地元の参拝者たちを、神様が後ろから慈しんでいるように感じたことがあった。
今日また、あの感じになった。自分を見守ってくれている。
9/10
・過去の人生でもきっとこういう出会いがあって、また別れて、そんなふうにしてやってきたんだなあ。
どうしてこうなのか、わからない。
ただこの世界を抱きしめたい。
9/11
・分け合うと喜びは倍増する。どうしてか、そういうふうにできてる。うれしいなあ。
9/12
・死ぬってわかると、こんなに優先順位がはっきりするんだ。
さよならと感謝は、なんだか似ている。
ちゃんと生きよう、ぼくのすべてを賭けて。
9/13
・それにしても、どうしてこううまい具合に、タイミングよく、助けてくださる方があらわれるのか。
9/14
・愛おしさが胸からあふれて、おさえきれない。
だから坐ってるんだ。
9/16
・やっぱり「好き」があるなあ。「好き」があって、人をみてる。
いろんな顔があるのが、ほんとうにおもしろい。
透明な「好き」
わだかまりのない「好き」
好きでいるというのは、こんなに楽なこと、いいことなんだ。
9/17
・禅の老師に就く前、どうしようもなくて、ひとりただ座っていた時期があった。
いままた、そんな感じだ。
9/20
・歩きながら、愛おしさが胸からあふれる。
9/21
・以前の自分であればしなかったような行動を、いつの間にかしてる。
9/22
・人生の局面が変わってきたな。これでいいんだとおもう。
9/24
・朝、胸のあたりを中心に、おおきな透明な球のような広がりがある。背中を包み込むぐらい。ここまでになるのは、はじめて。
台湾の道教寺院の感じも、『神の現存の体験』(ラウレンシオ修士、ドン・ボスコ社)の感じも、ダグラスさんもルパートさんも、全部、ここにつながっていたのか。
言葉にすれば、「愛が(わたしを)生きている」。
「好き」に種類や程度があるわけじゃない。
誰かを好きになったり、世界を好きになったり、どれもおなじ、「(神への)愛」を感じていたのだと、いまはそうおもう。
9/28
・ときどきつらくなり、涙。
たぶん、いままで人にほとんど見せたことのない面を出せるようになってるんだとおもう。
しわくちゃな服のシワを伸ばすような。
・喉になにかすごく悲しい感じがある。
9/29
・胸のあたりの愛おしさが日々を見守っている、という感じ。
この胸の感じが、進むべき道を教えてくれているのだとおもう。
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