2022.5~7「土づくり」
5/4
・あなたが、その位置で、それを感じていること。それはこの宇宙開闢以来、たった一度しか起こらないことで、あなたしかできないことなんだ。
5/8
・別れた恋人とのことで、感じたいろいろな感じ。
ひとりじゃできない。幸せなだけではできない。きっと過去世の、たくさんのひとたちとの、たくさんの出会いと別れがなければ、ああいう感じ方をすることはできなかった。
そういうふうに、人が人と出会って、どんな感じ方をするのかというのは、ものすごく歴史的なもの。
自分ひとりで気づいてきた感情なんて、ありはしない。
なんて尊いんだろう。
5/18頃
・夢日記。また別れた恋人の夢。
触れ合いを求めるこの思いは、胸からわいてくるな。
触れ合いたいという気持ちそのものに意識を向けると、胸のうずき、に気づく。
そして、いま、触れ合ってる、ということに気づく。
ぼくにとっては、「神」というのは、この触れ合いたいという思いだな。
5/21
・なんだかさみしいような、愛しいような気持ち。神に向かうときは、こんなふうなのか。
神に向かって為すのであれば、どんな無意味なことでも、どんな無駄なことでも、きっと素敵だ。
これからの人生すべて、神に捧げたいなー。そうでなければ、あまりにさみしすぎる。
5/22
・夢日記。また別れた恋人の夢をみた。
夜、目が覚めて、すごく無力な感じがしたな。力が抜けていくような。徹底的に諦めるような。
そういうときほど、神が身近に感じられる。
・日中も、何度か、急に弱くなったような感じになる。すごく情けないような、ちからがないような。無力感というか。
これ、中学のときもあった。中学のときは、たぶん、からだもメンタルも弱すぎて、対応できなかったんだ。
5/23
・今日もまた、弱くなる、という感じがある。いろいろなことが無意味に感じる。
足元の床が抜けて、下に落ちていくときの、からだが浮くような不安な感じ。砂山に水をかけて崩れていくときの、とけていく感じ。
そういうとき、神を身近に感じる。
・うまくいえないが、自分のもっとも弱いところ、ちからの入らないところ、そういうところに、ちからづよいものが入ってくる。
生命の誕生をおもわせるような、河から新しい支流が誕生するような、そういうなにかがそっと流れてくる。何者かの「眼差し」とか「意志」とか、そういう言葉でもいい。その流れてくるなにかに意識を向けると、勇気がわいてくるのよ。
6/4
・夢日記。スパイ活動みたいなので、人をだましてる夢。
自分がえらく傷ついているのを自覚させられる。で、そうやって自分も傷つき、人も傷つけ、傷つけた人の傷みも感じるとき、あぁ神様がこの傷みを感じているんだな、とおもう。
6/6
・なんか自分の「うずき」みたいなものがあって、ほんとうに満足したい、っていうのがあって、それに動かされてる感じだなあ。
自分がほんとうに満足するものってなにかというと、やっぱりふれあいたいってことなんだな。
で、それは自分の思いでもあるけど、自分を超えた意志でもあるんだ。自分を超えたものの意志が、自分をして、ふれあいたい、ほんとうに満足したい、っていう思いにさせている。
6/14
・そろそろ四十路。これでいいのだろうか、みたいな感じが浮かんでくる。
でも、やはりおもう。何かをこの手中におさめることはできない。
帝は、かぐや姫が人間の手におさまるものではないことをよくわきまえていた。それが帝がもつべき資質なんだろうな(易の「天風コウ」)。
6/18
・夢日記。また別れた恋人の夢をみた。そんで、またいつもの気持ちを感じた。
会いたいという気持ち。
ふれあいたいという気持ち。
寂しいという気持ち。
悲しいという気持ち。
ありがとうという気持ち。
ごめんねという気持ち。
6/25
・場というか、土壌というか、そういうものがあって、人間というのが成り立っているんだとおもう。土壌がやせると野菜もやせるように、場のエネルギーがやせると、人間も弱ってくる。犯罪も増える。依存症も増える。
逆に、土の生命力が回復すれば、そこに育つものは、それぞれの個性に従って育っていく。
ぼくがほんとうにしたいことって、土づくり、だな。
6/26
・夕方頃、なんか寂しいなあ、という感じになった。
みんながスマホをみてる風景、さみしいなあ。
みんなが忙しい生活、さみしいなあ。
このさみしさというのは、神様が感じているさみしさなんだ。
神様というのは、いつも輝いて活力があって、というだけじゃない。打ちひしがれている神様もいる。八百万の神々。
7/28
・ショッピングモールをぶらぶらしてたら、いろんな店があって、商品があって、人がいて。
いろんな人のいろんな欲が様々に紡ぎあって、いろんなものができあがってるんだなあ、と。
ひとつひとつの風景が、しゃぼん玉のよう。しゃぼん玉の空気が「欲」、もっときれいにいえば「意志」というのか。
そういう欲というのは、すごく尊重すべきもののようにおもえた。
欲がなければ、こうした街の風景というものはまったく成り立たない。
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