2022.9/16~9/30「ごろごろ」
9/16
・朝、ごろごろ。早朝の秋風。
自分のなかの誰かが「ね?」と言ってくる。
「こころのいちばんやわらかいところで望んでいるものって、こういうことでしょ?」
・夜、秋風を感じていると、胸や喉に、ちょっとせつない感じがやってくる。
9/17
・お昼前、またあのせつない感じがやってきて、少し喉が痛い。
9/18。
・また少し泣いた。むかしの感情を、いま感じてる、という感じがする。出来事は思い出せないけど、感情だけが残ってる。
9/22。
・昨日の夜、未消化の感情がにじみ出てきて、また少し泣いた。
・湯船に浸かっていたら、またせつない感じがやってきた。
9/23
・夜、ごろごろ。雨の夜風にあたりながら。また胸のせつない感じがやってくる。自分(とふだんおもっている存在)と一緒にいられるのも、ほんの一時のことなんだ。
この感じ、ジェニファーさんがloving poignancy(愛しいようなせつなさ)と呼んでいるものと、やっぱり同じ種類のものなのかな。
「生きるという経験がせつないのは、それが『しがみつけないこと』で成り立っているからだ。」
「このせつなさを感じながら、そこから背を向けないでいられること。それが〈目覚めていること〉の感覚的な側面だろう。」
(J・ジェニファー・マシューズ『ただそのままでいるための超簡約指南』。古閑博丈さんの訳)
9/24
・昨日の夜、また少し泣いた。未消化の感情とは違う。ただ泣いた。そういう時期なんだろうなあ。
9/26
・しずけさに引き戻される瞬間が何度かある。
台所に水筒を取りに行ったとき、ふいにしずけさがやってきたり。
忙しさのなかで忘れたものを、思い出させてくれるような感覚。
日中、誰かに呼びかけられたような気がして目を上げてみたら、カーテン越しの日差しが少し強くなっただけだった。
でも、そう、日差しも、この部屋の空気の振動も、全部、呼びかけなんだ。
・いろいろなものがあるべき場所にあるように感じられる。もっとほかにすべきことがあるのではないか、という焦燥感が弱くなった。
・夜、パソコンに向かっていたら、自分の内側で地殻変動が起こってるような感じがして、あわわ、となった。手を休めて、横になる。海のなかにいるみたいだ。伊勢神宮をはじめて訪れたときも光の海のなかにいるように感じたけれど、自宅でも似たようなことが起こるとは。。。
・ダグラス・ハーディングの実験、しばらく続けてみよう。
9/27
・夢日記。お葬式があげられなくて困っている、という二人連れに頼まれて、簡易的な祭壇をつくってお線香をあげてあげた、という夢。気づいてみれば、昨日までお彼岸だったのね。
この前の盆送りのときも、着物姿の女性を死者の山まで送る、という夢をみた。
・昨日の夜から、またエネルギーがからだのなかで動き出して、処理が大変な感じ。今日も、日中、そんな感じになった。
ときどき、喉が痛くなる。感情的なつらさが、後からやってくる。
・夜、またつらくなってきて、泣いた。泣いてるうちに、また誰かと意識が同調してきた。中学生くらいの女の子。橫になったまま、動かない。いや、動けないでいる。人前では元気よく振る舞うのだけど、それでエネルギーを使い果たして、部屋にこもると、文字どおり動けなくなる。生きているという実感がもてないのだとおもう。。。こういうこと、なんで見知らぬぼくが気づくのだろう。
9/28
・昨日の夜、また泣いた。
・みぞおちのあたりに不安な感じが走る。昨日か一昨日あたりも、みぞおちあたりに、なんか黒い詰まりみたいなのを感じた。
・ただ座っているだけなのに、からだから、じわ〜〜っと、感謝みたいなものがにじみ出てくる。何かに対する感謝ではなくて、ただそういう感じがする。
9/29
・昨日の夜も、エネルギーが動いてる感じで(とくに胸のあたり)、なかなか寝付けず。
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