2022.10「何度でも」
10/1
・朝、布団で目を覚ますと、いつもと感じが違う。なんかこう、天井なり家具なりが微笑みかけてくれてる感じ。
・夜、なかなか寝つけず。しばらくじっとしてたら、涙が出てきた。励まし、やさしさ、そういったものにくるまれている。いまもそうだし、いままでもそうだった。そのことを素直に受け入れられる自分がいる。gratitude(感謝)という言葉が浮かぶ。
それだけ「世界と敵対」してる感じがあったんだなあ、とあらためて気づかされるナア。
10/8
・近所を歩いているだけなのに、外国の街を歩いている気がしてしまう。はじめて行く外国の街で、道ゆくひとたちを眺めていると、少しさみしいような、やさしい気持ちになるけれど、そんな感じ。
10/11
・先日、ある歌を聞いていて、こんな歌詞にひっかかった。
「正直に生きるなら 傷つくことばかりで 少しずつあいまいに 生きることをおぼえて」(「セシルのいた夏」〔歌:笠原弘子、作詞:松宮恭子〕)。
あぁ、「あいまいに生きることをおぼえて」しまったから、わからなくなってしまったんだとおもった。
今日は、desire(望み)という言葉が目にとまった。
やっぱり遠慮してるところがあるんだな。こんなこと、望んではいけないのではないか、とか。
10/12
・夜、床につくと、涙。しあわせすぎるから泣いてるの?
「何度でも」という言葉が浮かぶ。
10/13
・雑木林のなかを歩くと、まわりの植物と触れ合ってるのがわかる。実際に触っているわけではないのに、「物理的に触れ合ってる」という感触がある。海のなかを水滴が移動してる感じというか。
自宅までの帰り道、車道の上を歩くと、地面の感じが一気に弱まった。その時、ふいに自分のすべきことがはっきりわかった気がした。
アスファルトの上で暮らしながら、アスファルトの上の暮らしと森をつなぐ通路になること。森と里の往還。
10/15
・枯れ葉が舞って落ちる様子の、異様な存在感! 秋になるとアオムシがよく肥えるとか、雨が降ると池の水が濁るとか、そういうこと、見過ごしてきたなあ。
10/17
・雑木林の落ち葉が、朝焼けのなかで色をかえていく。
10/20
・いろんなひとからの流れが流れ込んできた合流点に、小さな渦潮のようなものが発生して、その渦潮のことを「自分」と呼んでいるのかな、とおもう。
10/23
・夕方頃、ふっと沈黙に引き戻される。
・夜、また少し泣いたような感じになった。
10/26
・夢日記。食べ物のことで怒ってる夢をみた。夢に見るということは、意識にのぼってくるようになった、ということ。怒りは以前からテーマだったから、うれしい。
10/27
・夢日記。えらくリアルな夢をみた。別の世界の、別の人生なのだけど、目が醒めても、その人生を長く生きていたかのような実感が残っている。かといって、前世っぽい夢をみたときとも違う。夢見が変わってきた?
・過去の後悔してる出来事を思い出しても、映画のエンディングロールを見てるような感じで、とても豊かな経験だったと振り返れてしまう。妙なもんだ。
コメント
コメントを投稿