2024.6「言える」は「癒える」
6/5
・Touch it and it's there(触ってごらん、触ればそこにあるよ)という言葉が浮かぶ。
6/9
・荘子を読んでいると懐かしいな。
中学生の頃にくりかえし読んでいたのは、この懐かしさに惹かれていたのか。
6/10
・夢日記。日本が戦争中。「7歳以上は徴兵義務」と青く大きな字で書かれたパンフレット。
目がさめておもう。あちこちの戦争は、自分の苦しみの「投影」なんかじゃない。自分の苦しみそのものなのだ。
Nujabesの歌詞が流れてくる。
"I am not a perfect being, yes I am, a man full of S-I-N"(Luv(sic) Part 2)
6/12
・先月からタントウ功を再開。気づいてみれば、ダグラス・ハーディングの「目を閉じて実験する」を兼ねるようなやり方になってる。
丹田の気がうごめいて、全身がぷくぷくふくらみ始める。
自分はからだのことは知らないけど、からだはからだのことを知っているみたいだ。
6/13
・それにしても、どうしてこうやって勉強に向かうエネルギーが流れ、勉強できる環境が整えられているのか、わからないわ。自分のちからではないことは間違いない。
6/14
・電車で目を閉じると、自分がどこにいるのかわからない。ただ黄色い、白い光のなか。
6/16
・ずいぶん癒やされたんだなあ、と実感する。ということは、以前はそれだけ傷ついていたということか。
6/17
・ジミー・ライの伝記本を少し読む。ライも聖書を読むんだなぁ。
言論の自由を失うような時代が再び訪れても、自分で調べて、確かめたことは、自分の支えになってくれるのではないかとおもう。
非二元の実験とか禅もそうよね。ほんとうに確かなこと、がほしいんだ。
6/18
・日中、老子の言葉、天網恢恢疎にして漏らさず、が浮かぶ。夜、コレヘトを開くと、「上役には上役がいる」。
人のことは天に任せなさい、ということか。
6/20
・朝、タントウ功。知らないうちに涙が流れてた。内外の隔たりがないと知るのは、癒やされることだ。
6/23
・朝、目がさめて、強烈にさみしい。
もうながいあいだ、人類が戦争をくりかえしているのがさみしい。
これ、中学生の頃から感じていた。
言ってはいけないことのように感じていた。
いま、ようやく口に出せたわ。
「言える」は「癒える」だ。
そうね。聖も邪も、自分自身の振幅なんだ。
6/24
・部屋の匂いが変わった。夏の匂い?
・生命力が伸びていくこの季節に、物事の終わりをいちばん感じる。陽の影にある陰を同時に感じるということは、それだけ老いてきているのか。
6/25
・夢日記。英語の夢。いつもとは違う帯域にアクセスしてたような。
・お昼ごろ、なんか泣きたい。なつかしさと、さみしさと。
愛おしいな。いろんなことがあるけど、結局すべて、さよならの表現なのかもしれないな。
6/27
・なにをどれだけ学んだって、いつまでたっても不完全で、断片的で、部分的で。
結局、ほんとうに満足できるものって、ただその時々でそうなっているという、それしかないなあ。
6/28
・勉強しすぎて、寝る時に目がまわったような感じになる。気が頭にのぼりがちだわ。
6/29
・どんなひとだって、その時々でできることをやっているのかもしれないな。それしかできることがないもの。
なんか悲しい気もする。愛おしい気もする。健気な気もする。
6/30
・夢日記。苦しさ充満の夢。
・あまりに苦しいので、朝おきてすぐ、久しぶりにちゃんと座って坐禅をした。
坐禅はいいなあ。
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