2024.5~7「道化師」[実験日記]

2024.5/7
・髙木悠鼓さん主催のリアルのハーディングの実験の回に参加。リアルは初参加。すごいよかった。紙袋の実験をやって、じんわりした感動が続いた。そのあと、よくわからないけど泣きそうになった。愛とか、そういうものを感じたわ。
・ハーディングの言いたいこと、高木さんに聞いてやっとわかる、というのがけっこうあるな。なんでだろう。

5/11
・紙袋実験で、向こうに意識がないっていうのは、あれ、こちらから独立した意識はない、ってことだとおもう。

5/12
・寝る前に一人紙袋の実験。これ、鏡の向こうの自分が愛おしくなるな。向こうのワタシは、疲れ、老い、死んでゆく。成功し、失敗する。生きようとする試みは、ついには必ず失敗する。それを見守っている、こちらのわたし(神)。向こうのわたしは、向こうのわたしで、一生懸命やってるんだなー、と。
 伊藤さんが、指差しによって正常な感覚に戻るっておっしゃってたけど、ひとり紙袋もそうだ。正気に戻る感じだ。冷静になる。死ぬんだっていうこと。

5/13
・ひとり紙袋実験。向こう側の顔は、眠そうだったり、疲れていたりする。大事なものを失う日もある。鏡に顔が映らなくなる日もくる。それをこちらのなにもなさが見守っている。
・このところ、ひとり紙袋実験が趣味のようになってしまっている。infectiousっていうけど、髙木さんの会に参加してだいぶ影響を受けたのかも。

5/15
・メルロ・ポンティも、ハーディングのいう頭がないってことに気づいてたのね(ハーディングには言及してないけど)。『知覚の現象学』に書いてるらしい。

5/16
・朝、目がさめて、ひとり紙袋。この世界を祝福していこう。

5/23
・図書館まで外出。からだが透明なのが、いまはふつうになってるなあ。数年前とくらべたら、生きる感覚がずいぶん変わったわ。こちらとあちらとわかれていないというのは、いいもんだな。神秘というのは、特別なことを言うのではなく、あたりまえなことのとてつもなさだ。
・見えていることっていうのは、意識の外見だ。

5/26
・寝る前にひとり紙袋実験。なんかこの頃、試験前の異常なテンションで、覚えまくってる。ふっと我(主体)に立ち返ると、ほっとするね。なにがあっても、なにが起こっても、そうなんだっていう。

6/7
・朝から站樁功〔気功の一種〕。からだというものを、いままでソトからしかみていなかったことに気づく。内側をみるといっても、腕のあたりとか、丹田のあたりとか、外側からみたイメージのなかに内側の感覚を布置化してた。
 そうじゃなくて、主体から見た見方でやると、はじめて自分のからだというのものを知った、という感じがある。左手(腕も含めて)が赤子の手のようにやわらかく、神の手のように大きく感じられて、あぁ、この手は自分の手じゃないんだなあ、とおもった。

6/14
・模試の帰り。電車で目を閉じると、自分がどこにいるのかわからない。ただ黄色い、白い光のなか。

6/30
・ラメッシ・バルセカールが書いてた。権利を主張するより義務を遂行するほうが、人間の幸福度は高い、と。これはたしかにそうだとおもう。

7/1
・測定できる基準があるときにだけ、距離がある、っていうはなし。つまり、「空間」っていう概念は、測定されるものなんだ。
 空間を超えたところに自分がいる、というのは、まあそりゃそうだけど、ほんとうは空間を超えたところがもともとあって、測定できるときにだけ「空間」がある、っていう。空間のほうが例外的な位置づけのはずだ。

7/3
・やらなきゃならんことをやってるうちに、あっという間に一日が終わるな。nowがやってくれる、ってセイラーボブがゆーてたけど、まあたしかにそうだ。意識しようとしまいと、そうなっている。ただ意識していると、ほっとしたり、冷静になれる、ってことだろうか。

7/7
・夜、ひとり紙袋の実験。あぁ、向こうの人は死ぬんだなあとおもうと、今日の〔試験の〕ミスであぁっておもってるのが、とても小さなことにおもえた。向こうのひとは、一生懸命だ。その時々の役柄を精一杯演じている。道化師。

7/9
・ダグラスさんの牢獄のはなし(壁が3面しかない)。あれ、ひとり紙袋実験でこっち側をみるときと同じだな。

(2024.7/19)

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