2025.10「うた」[実験日記]
10/3
・ハン・ガン『ギリシア語の時間』。行間から雨音が聞こえる。
朝、家を出ると見える、羽のような雲。
からだの輪郭をこえてゆく、花の香り。
文章もおなじだ。言葉に宿る、たくさんのひとたちの息遣い。
・電車で目を閉じると、ほんとに海のよう。
アナウンスの音、湿り気、思考、胸のあたりのなにか。まるで海藻や魚。
そう感じるのは、きみが水だからだ。
10/4
・『ギリシア語の時間』。キスの場面がときどき出てくる。
キスするときって、相手の顔がみえなくなるよね。
無意識に求めてるのかもしれないね。顔のないところで出会うことを。
10/6
・こっちの安らぎを感じるとき、「戻るという感覚はありません」(『顔があるもの 顔がないもの』p.216)。たしかにそうだ。
これ、時間の実験になるね。
10/10
・電車の最後部の展望席から眺めると、街並みがこちらから生まれてくる感じ。無尽蔵に風景があふれてくる。
・城跡をみると、まるでほんとうに「過去」なるものがあったんだとおもえるから、すごいよね。よくできてるよ、ほんとに。
10/13
・VR体験(「ホライゾン・オブ・クフ 古代エジプトへの旅」)。
見終わっておもったのは、この現実がいかによくできてるか、ということ。手のしわ、ささくれ、街をゆく人たちの暮らしの匂いまで“つくり込んでる”。 手抜きがない。
VRの研究をしていた野口慊三さんの述懐を思い出す。
《あるとき、人間の感覚のすべてに適切なバーチャル信号を与えることができたらどうなるだろうか、と考えました。そして、「そうしたら人間はバーチャルかリアルかをまったく区別できないだろう」ということに思い至ったのです。その瞬間、思わず身震いが出ました。「そうなんだ!」というのが私の最初の感想でした。(中略)
それまで、読みかじり、聞きかじって溜め込んでいたあらゆる宗教的・哲学的知識の断片が、一気にあるべき位置に滑り込んだという感じでした。》
(『「意識の宇宙」のアリス』pp.228-9)
10/17
・アジャシャンティもそろそろ引退かもらしい。
10/22
・色と自分の距離はないのに、色が見える。
音と自分の距離はないのに、音が聞こえる。
10/25
・ニサルガダッタ・マハラジにこんなに親近感がわくとはおもわなかった。
存在の感覚への恋慕。強烈にせつない。
10/26
・ニサルガダッタ・マハラジ"Nothing is Everything"(未邦訳)〕p.201より。
「〔目に映る〕景色を存在の感覚から切り離すことはできない」
(You cannot separate the scene from the sense of being.)
鉛筆を持っている、この色、この感触。
生きている、生きている、という声を発している。
「いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける」。
・絵画の鑑賞会。感想を述べるそれぞれの声は、自分の声。
10/30
・好きなバイオリニストの曲を聞いてると、言葉はないのに、「意味」(と呼びたくなる何か)が伝わってくる。
意味がわかる、伝わるのって、とてつもないことだね。
そうおもうと、仕事上のやりとりも、また違って感じられてくる。
「意味のフィールド」(field of meaning)って、デヴィッド・ラングさんは書いてた(『Is a Text a Human Being?』〔テクストは人間か〕)
(2025.11/1)
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