2025.1「親しさの別名」[実験日記]
1/11
・朝、目が覚めて、五感の外側はないんだな、なんてこと! といまさらのように。
1/16
・通勤中におもう。ここまでがわたしで、ここからがわたしじゃない、といえるような区別はたしかにない。
1/17
・早朝。誰が歩いているのかもわからない。どこを歩いているのかもわからない。ただ靴音だけが響いている。
・懐かしさというのは、「知っている」という感じと「親しさ」の2つを併有している。
1/18
・実験を続けると、世界の感じ方が変わっていくのだろうか。中学生の頃は、こんなふうには世界を感じていなかった。
いろんな観念が落ちてきたのと、トラウマ的なものが癒されてきたのが大きいのかな。
いつだったか、夜中に目がさめて、あっとなり、ダグラスさんが言ってたのはこれかとおもえたことがあった。あれも、なにかの観念が落ちただけなんだと、いまはそうおもう。それがなんの観念だったのかは、わからないけど。
1/19
・電車で隣の人が化粧中。鏡を見ないとお化粧ができないというのは、やっぱり顔は自分のものじゃないってことか。
オトナ(社会人)になるというのは、いろいろなお化粧を顔のあたりにしてるってことだな。
1/22
・行き交う人や電車を眺めていると、こんなふうに世界を描ける、その筆致の繊細さにみとれる。
神の絵筆は懐かしさでできている。
1/26
・久しぶりにカード実験。カードが消えるというのは、ここには形は存在できないということか。つまりは、形は死ぬ、ってことか。
1/29
・どうしてある種の思考を、「自分の」思考だ、っておもうんだろう。雨が降っても、自分の雨だ、とはおもわないのに。
天気をみても、機嫌わるいのかなと気をつかったりしないのに、人をみると気をつかうのはなぜだ。
1/30
・近づくとドアがだんだん大きくなるのも、あちら側(奥行き)というのが実際にはないからか。
あちら側(奥行き) というのが実際にはないから 、奥行き(3次元)を表現するのに平面(2次元)を使うしかないのね。
それにしても、こんなふうにできてるなんて、とてつもない知性だ。
1/31
・ホームに降りる乗客の喋り声が遠ざかり、消えてゆく。
消えたのは、遠くへ行ったから?
違う。逆だ。音が音のないところへ、いちばんちかしいところへ還ったからさ。
・すべてがわたしでつくられている、という感じ。言葉にすると奇妙だけど、親しさにつける別名が「わたし」なんだとおもう。
以前、犬の散歩をしてるおじさんが歩いてくるのを見て、「わたしが歩いてくる」という感じがしたことがあった。これも言葉にするとヘンだけど、実際にはそうでもなく。
あれがどういうことだったのか、いまなら少しわかる気がする。
(2025.2/8)
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