2025.8「ペットボトル」[実験日記]
8/4
・鏡の顔を見てたら、生きるのって大変なんだなあ、とおもう。
8/8
・飲み会。こちらの顔がない感じでいると、わいわいやってるひとたち、その雰囲気、そういうものが自分なのだとおもえて、うれしい。
8/10
・五感というのは意識の現れ方(変形の仕方)の違いだ、みたいなことを確認する実験がある。それでいくと、目が見えなかったり耳が聞こえにくかったりするのも、五感から視覚や聴覚が「引き算」されてるという捉え方ではなく、意識の現れ方のバリエーションのひとつだ、ということになるのか。
・お風呂で自分の顔をみてたら、曇って見えなくなる。そう、顔というのは、少し曇っただけで見えなくなる、そういうものなのだ。なにかこう、ずっと固定的にあるようなものじゃない。
8/14
・電車で誰かが隣に座ると、からだの感じが変わる。植栽の脇を通るときも。からだって、環境とこんなにも連続的だ。
8/15
・朝、歩いてたら頭足人(※)の感じ。風景から手足が生えてる、みたいな。
子どもが頭足人の絵を描くのも、こういう感じで生きてるから?
※頭足人のことは、伊藤さんに教えていただきました。
・哲学者のベルナルド・カストラップさんの文章を読んで気づかされたこと。
宇宙という物質的なものを、数学というメンタルなもので記述できてしまうことの不思議。
いやいや、それは不思議なことではないよ、と。意識から独立した「物質」なるものはなく、宇宙はメンタルなものだとすれば、数学と宇宙の相性がいいのはむしろあたりまえではないか。
8/16
・指差し実験。対象物を見るときも、記憶を参照せずに見ると、また違う。「机でしょ」って記憶を参照して机を見たって、「机」というイメージを見てるだけで、実際にあるものを見ちゃいない。
8/18
・朝、4時過ぎに目がさめて、呼吸してるこの誰かを感じてたら、愛おしい。
やわらかく、生きてる。
鏡のなかのあのひとも、あなたが大事にしなきゃいけない一人だ。
・「見えている」って、なにかとてつもないことだね。
8/20
・会社からのかえりみち、あれっ? となった。いつもと見え方がちがう。おおきな縁のない球のなかに、風景が浮かんでる、みたいな。
縁のない世界を感じながら歩くのは気持ちがいい。
8/21
・朝の樹々や空。色は見えるのに透明に感じる。色は、色のないものからできている、なぜかそうおもえる。
あふれんばかりの色が、来る日も来る日も惜しみなくあるということは、うれしいことだ。
8/25
・電車がホームにすべりこみ、人が乗る。たったそれだけのことなのに、とてもおもしろくおもえる。実験を知ることの恵みね。
・仕事で人と会う。ほんとに劇のよう。おもわず笑う。
8/26
・日本の雑然とした街並みをどうにかできないか、と高校生の頃はおもってた。いまはそんな街並みも愛おしくみえる。
受容するちからは、どこからくるのだろう。どこからくるでもなく、意識自身の性質なんだね。
8/27
・視覚で見たとき、モノの表側しか見えなくて、裏側は見えないよね、という実験があるけど。
食卓の上の(透明な)ペットボトルを見てたら、「あれ? ペットボトルは裏側も見えるぞ」と。
でも、「裏側だ」とおもってるのも、陰影の違いから「ここからここまでは裏側だ」と識別してるわけで。
で、陰影というのは、こちら側(表側)に見えている色合いの違いなのだから、やっぱり表側しかない。
というか、視覚にとっては、表と裏の区別自体がないんだろうね。
8/29
・説明できなければ理解したとはいえない、って学校では教わるけど、説明はできないけどわかること、ってある。
たとえば、わたしがわたしだということ。いまがいまだということ。
8/30
・たまたま聞いた曲の歌詞。
「何度も間違った道 選び続けて
正しくここに戻ってきたの」
(Superfly「愛をこめて花束を」より)
まるでマインドのことをうたっているよう。
(2025.8/31)
コメント
コメントを投稿