2024.12「あの頃」[実験日記]
12/4
・セイラー・ボブ・アダムソン。体調がおもわしくなく、先月が、リアルでやるlast public meeting(最後の公開ミーティング)だったらしい。
12/5
・鏡にうつった自分の目をみてたら、目の奥に意識があるのではなく、目の映像(?)が意識そのものでできているのだ、という感じ。
12/8
・シール実験(※)。あれ、赤と青が半々のシールとかだと、分類不可能になってくる。それでもまあ、赤と青のどっちか、あるいは両方で、黄ではない、とはいえる。でも、白色のシールだと、(光の三原色の場合は)すべての色を含むから、いちばん分類不可能だ。
いちばん分類不可能なものがこちら側の本質に近い、ってことだろうな。
・シール実験とカード実験って、つながってる。色のあるものをつけるのがシール実験。色のないものをかぶるのがカード実験。
※シール実験とは、『頭がない男』p.123の「分類不可能実験」のこと
12/9
・ぼくがお茶を飲んでも、Aさんの口でお茶の味がするわけではない。それはなぜかというと、(1)味を味わえるのは主体だけで、(2)Aさんにとっては、ぼくは主体的ではなく、あくまで対象物だから、ということらしい。
主体と対象は分かれていないと言いながらも、主体と対象は、やっぱり明確な違いがあるんダナ。
・「はるかな過去とはるかな未来の狭間に、わたしがいる」という感じは、「広い宇宙のなかに、ちっぽけなわたしがいる」という感じと対応している。
・「音を聞いている」「色を見ている」なんて言い方を気軽にしてしまうけど、直接の経験としては、「~を」なんていうふうにはなってない。
理屈としては知っていたことだけど、気づいてみれば、「なんてこった!」
こんなことに気づいた日の帰りみちは、ただ歩くだけでたのしい。見上げる夜空もみずみずしく。
それにしても、「音」っていうふうに言葉で思い描くと、まるでほんとうに「音」なんていうふうに切り取れるものがあるとおもえるから、すごいもんだ。
12/11
・実験の日々が一年以上も続いているのは、たのしいというのもあるけど、なにかもっと根本的な理由がある。それがなんなのかは、わからない。
きっと、生きてみないとわからないことなのだわ。
12/12
・シール実験。5秒ルール(5秒以内にグループ分け)で急かすのって、成長の段階の2段階目(子どもの頃)の急かされる感じを再現しようとしてるのかな。
・巻き尺の実験(グループでやる定規の実験)。あれ、定規の実験の絵のとおりになる。
定規の実験をやったときは、中央の絵は途中経過って感じで、左右の絵にばかり注目してたけど、巻き尺の実験をやると、中央の絵もおもしろいなあとおもう。巻き尺それ自体の大きさが変わってゆく。
12/13
・ルパートさんいわく、目を閉じたときの身体の感覚を絵にしたら、ハッキリした線は描けない。点の集まりのような絵になるはずだ、と。
たしかにそうだ。
点描とか、シュタイナーのにじみ絵とか、ああいうのは、目を閉じたときの身体の感覚に近いのか。
12/14
・巻き尺の実験。中央に立つ人は、毎回向きを変えるから、毎回、距離がない。中心にくるものをhonourする(敬意を払う)、というのと関連してる。
12/16
・向こう側の形の輪郭を指でなぞってみる。
で、こちら側をなぞろうとしてみる。すると、なぞれるものがなにもない。
なぞれるものがないということは、物理的な空間じゃないってことかな。
・色や形を認識できるのは、こちら側に色や形がないから。
色や形がないそれを、仮に「気づき」と呼ぶならば、こちら側に気づきがあるのは、気づきのないところ(絶対無意識)があるから。
〈色や形→気づき→絶対無意識〉という3つがあって、気づきは中間なのね。
・歩くと道幅が広くなる。
12/19
・相手の顔をもっているのは自分だ。言葉にすると奇妙だけど、実際のところ、そうなっている。
12/20
・帰りの電車で目をつむったら、自分がどこにいるのかわからない。
12/21
・五感のあいだの境目は、たしかにない。
12/25
・この世界がどうなっているのかを知りたい。インフルエンザの最中でも、そんなことをおもってしまう自分に驚く。
12/30
・Bernardo Kastrupの新刊、Analytic Idealism in a Nutshell。
ベルナルドさんは、ルパートさんの友人の哲学者。ルパートさんが言ってるようなことについて、明晰な理屈を与えようという感じ。
中学生の頃に戻ったみたいに、たのしく読めた。
あの頃は、こんな話をしてくれる大人を切実に求めていた気がする。そんな中学生がこんなふうになって、これでよかったのかな。
(2025.12/31)
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