実験のこと
ひょんなことで実験のおもしろさを知ってから、一年半くらいになる。
いつの頃からか、街を歩いているだけ、電車に座っているだけで実験になっているから、この頃はあんまり「実験」という感じでもないけれど。
朝、目をさませば、鳥のさえずりが、これと言えない不思議なありようで聞こえてくる。
家を出てみれば、遠くにあるとおもっていた空が、手でさわれそうなくらい近くにある。
電車に座り、目をつむれば、からだが炎のようにゆらめいている。
こういう感じを知ると、ときどき誰かに話しかけたくなる。
「ねえねえ、これ、おもしろくない?」
非二元だとか目覚めだとか、そんな言葉も本棚にしまって、
いま現にある経験を調べてみるのは、たのしい。
どうして実験のシェアを始めたのか、自分でもよくわからない。
いつぞやの実験の会に参加したとき、
「お友達とシェアしてみてくださいね」
と伊藤さんから言われたのを思い出し、やってみようかという気になったのだった。
いざ始めてみると、不思議なもので、一緒におもしろがってくれる人との出会いがつづいた。
そんなふうに人とつながることができたことで、ずいぶん癒やされたとおもう。
この頃、よくおもう。
存在そのもの、あるいは意識そのものにはなんの根拠もないんだなぁ、と。
根拠がないとおもうと、なんだか途方もなく安堵する感じがする。
笑える感じがする。
この安堵する感じに、ずっと惹かれ続けてきたのかもしれない。
制服のポケットに『荘子』を忍ばせていた中学生の頃も。
近所の本屋で『クリシュナムルティの瞑想録』を手にとった大学生の頃も。
「お茶を飲んだら、お茶の味がする」という禅僧の言葉に触れた三十代の頃も。
ひたむきな恋のよう。
こういうふうにしか生きられなかったんだなぁ、と振り返っておもう。
(2025.6/18)
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